2013年12月30日

加藤秀俊、前田愛 『明治メディア考』

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この対談に参加している加藤秀俊さんは、私にとって非常に思い入れが深い人です。

大学在学中にこの人の『日本人の周辺』という本を読んで一気にファンになり、古本屋にいってその古本屋にある加藤さんの本を根こそぎ買っていったのを思い出しました。


それくらい加藤さんの本は私にとって最高の著者の一人であります。

彼の知的なアプローチにとても感心してしまうのですね。

学問の専門にこだわることなく、知的好奇心の赴くまま、本を読み漁るのみならず、自分で足を運んで物を見に行き、どんな人からも謙虚に訊きにいって物を調べものにする態度には感心します。

そういった態度が加藤氏のモラルの基本になってますから、その専門の「必読本」と言われる本はもちろん、他のあらゆる好奇心の対象を取り扱って論を進めてますから、奇想天外で読んでいて非常に好奇心を駆り立てられます。

専門にばかりこだわると先の読めたありきたりな文になりがちですが、加藤氏のはそういったことが全くないので、どうしてもどんどん読み進めたくなる衝動を抑えきれなくなって、いつの間にか3時間くらい読んでいたりします。

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加藤秀俊

大学時代に、「今日はスポーツトレーニングをするぞ!」と意気込んで、トレーニング場に行こうとして、途中の喫茶店で加藤氏の本を読んでから行こうと思い、喫茶店で本を読んでいたら、好奇心が抑えきれなくなって、トレーニングをする時間帯以上に引き延ばしてしまう、その日のトレーニングはやらずじまいなんていうこともありました(笑)。


この『明治メディア考』前田愛氏との対談ですが、彼の論文とスタンスは変わることなく、奇想天外でしかも、加藤氏独自の論の枠組みや、加藤氏しか知らないマニアックな情報が出てきますから、ついつい読み進めてしまいます。

明治以降の日本のメディアについての考察ですが、加藤氏の深い洞察によって自分が今生きている現代のメディアの仕組みの土台というものが明治に大きく、そしてその端緒もそれ以前から形成されていた、ということがわかり、非常に興味深く読みました。

そのことを知った私は、今自分が生きている日本社会について誇りが持てて、幸福感すら覚えました。
わーい(嬉しい顔)

こういったことが可能なのは、ひとえに好奇心が深い人によってこそ初めて可能であることは間違いありません。

よき文を書くには多くの情報と接して拾う作業がなくてはいけません。

はじめから無駄を省いて手っ取り早くよき情報を得ようとしてもそれは無理な話です。

「まさしく大量の砂から砂金を探す」という作業に等しいです。

それが可能となるためには、そういった情報に接するのが大好きな人でなくては無理な話です。

情報を得るために本や雑誌、新聞等をたくさん読み、人と話し、自分で足を運んでみたり聞いたりしに行く、こういった作業が楽しいと心底思える人間ではないとできません。

そういった資質は加藤氏には大変に備わっているなと感じましたし、そういった知識人としてあるべき姿を加藤氏は体現しています。手(チョキ)

明治期からの新聞や見世物、本、時計といったメディアの数々が、多くの人たちの創意工夫によって、しかも作る側でない、使う側の立場を最優先にして発達させてきたことを知り、また今の自分に対して幸福感を感じることができました。
揺れるハート

使うために金を出して買う側の人間にとってどういうものを開発したらいいかを常に考えそれを実践していく、こういったことが実際に店舗をもって営業していくのでも、ネットでショップを運営していくのでも必要だなということが、想起されました。

この対談が行われた時には、インターネットというものはありませんでしたが、それでもそういった姿勢は永遠に不変的に必要であることに違いはありません。

この本を読んで、こんなことを感じた次第です。

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明治メディア考






posted by ロックさん at 13:25| Comment(0) | メディア論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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