2014年11月30日

佐伯啓思『西田幾多郎 無私の思想と日本人』

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この本が発売になった時、私が大学時代、 西田幾多郎が京都大学の教員だったころ、西田幾多郎の哲学を学ぶために京都大学を受験した人が戦前は大勢いた」ということをなんらかの本で読んで感銘を受け、私もこの人の本を読んでみようと思ったことを思い出してしまいました。

しかし、それからそのことはわすれ、好奇心の赴くままいろんな本を読んでいたために、ついに西田の本を読むことは忘れてしまいました。

そして、今回この本を読む段階になりました。

西田の本というのはちょっとちがって、その本の意義を要約し、現代における意義を説明した本ですが…。

明治、大正という徹底した欧化と近代化の知的な雰囲気の中で、 「独立心」をもって学問に向かったのが西田幾多郎であるといいます。

これは、夏目漱石森鴎外といった偉大なる文学者の思想にも通底する偉業でしょう。ひらめき

この2人の文学者が有名なのは、その日本人がもっていくべき精神を喝破したからにほかなりません。

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良い文学を書いた…そういう面もありますが、その喝破の偉大さがこの2人を後々にまでかたられることになったのです。

明治期にこの2人よりも売れていた文学者はいたのです。

西田は、人生の基底に「悲哀」を見出し、それを徹底的に見つめ哲学に仕立て上げたのです。

自己の内なる根源へ向かうことで、もはや人生の悲痛や苦病を感じる己を徹底して内省し、自己の内面のもっとも深いところまで降りていくことで己を消そうと試みたのです。

そこで見出したのが、「無」というものであったのです。ひらめき

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これは西田が、肉親や友人との死を、しかも多く経験してきたからこそ到達したのでしょう。

現今のように、日本国内では戦争もなく、しかも医学が戦前と比べて飛躍的に発達した世の中では、このような心の境地にはたどり着かなかっただろうことは容易に予想できます。

戦前に西田の哲学が多くの人を惹きつけて、西田の哲学を学ぶためにわざわざ京都大を受験した人が多くいたのも、こういった時代が背景になっていたからであったことも予想できます。

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西田の書いた本は「超」がつくほどの難解さがありました。

しかし、それでも多くの人を惹きつけてやまなかったのは、西田が西洋哲学から多大な影響を受けながらも、西洋哲学の問題をひきうけつつそこから「日本的な」答えを与えようとしたところにあるようです。

これは重要なことです。

西洋が生み出した近代社会は、「私(人生)」という主体が、自然や社会や世界という「客体」に対して、それを人間にとって、より有用なものに作り変えてゆく社会でした。
その膨張した思想が=「人間が歴史を作る」という言葉であったと思います。

しかし、日本の思想は、これと相対する性質をもっていて、どこか「私」を消し去り、無化していく方向が色濃く漂う性質をもっていたのです。

私を消し去ったところに、自然と一体となったある情感や真実が享受されるのです。

何故、自分がこんな目に逢うのか、何故ほかならぬあの人が死なねばならないのか、「我」といった時に、そこなだめになだめられぬ、捨てるに捨てられぬ「我」がいる。

我-その奥にある「絶対無」の思いを馳せる。

そんな思想が西田の根底にあったようです。

「消滅」という生あるものの不可避の宿命を暗示するがゆえに、われわれはそれをいとおしく思い、そこにあるものの独自の美を見て、感興を引き起される。揺れるハート

「もののあわれ」…日本の無常観をあらわす言葉としてありますね。

それが古来の日本精神の神髄なのです。

であるからこそ、桜のように1年に1回しか咲かない花に美を観取するのは、この花がすぐに散るからですね。

ここを読んで思うのは、このような感情を観取するのはなにも日本人だけの特徴ではありません。

物を大切にし、人の心を大切にする…こういう人は西洋人にも多くいます。

逆にモノも人も大切にしない日本人も多くいます。

こういう傾向が近年、日本に多くなっているのは確かに頷けます。


西田の哲学は、西洋の文化の急激な輸入の時代にあって、その時の日本の思想のあり方を模索し、そのあるべき思想を自己の中に確立し、それが多くの人に共鳴したようです。

西洋社会は、科学を生み技術を生み、この世界を人間の合理性によって作りかえる、という驕りを生みました。

まさしく世界の創造であり、世の中のものは区別され弁別され名づけられました。

たとえば、哺乳類、両生類、魚類などのようにです。

哺乳類の中にもクジラ、ライオン、ゾウなどのようにです。

さらに博物学や分類学などのような科学も生み出され、世界を見たいという冒険家も発生しました。

世界の果てまでもわがものにしたい、という感情までもひきおこしたのです。

欲望の無限の膨張が帝国主義であり、植民地主義であったのです。

こういった世界の創造に対し、「無の思想」は少数の友人をいつまでも大切にし、少数あるいは1つの絵画をいつまでも大切にする、という姿勢が基本であるようです。

世界はモノによって充満するのではなく、1つのモノの中に世界がある、ということですね。

しかし、今の世は、西洋的世界と無の思想の両方があります。

佐伯啓思氏の思想は後者の方に傾いているのです。

そして、佐伯氏の言いたいことは、後者の見直しを図ったらどうか、ということだと思います。手(チョキ)

西田の故郷の金沢は決して好ましいところではなかったようです。

良い景色もなく、にぎやかなところもありません。


深い雪に閉ざされ、荒れ狂う木枯らしの音だけが聞こえ、秋の日も鉛色の雲が立ち込め、地平線の入り日の光は赤暗く、まるで死の岡の入り口のように見えた、と言います。

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このようなところで幼少期を過ごしたからこそ、西田の哲学は生まれた、と言えます。

近代化と故郷喪失の中で、身の置き場がない、という居心地の悪さが多くの詩人や歌人の作品に独特の哀愁を与えているのです。

地方から上京してきて、東京を中心とした関東ですごす人の心に響く作品がこのようなものであるのは頷けます。

それは詩や歌だけにとどまらず、哲学といった人間の思想を明らかにつまびらかに分析する科学であっても同様でしょう。

西田幾多郎が京都大学の教員だったころ、西田幾多郎の哲学を学ぶために京都大学を受験した人が戦前は大勢いた、ということですが、明治以降の急激な西洋化とそれに伴う都市への大勢の人々の急激な移動、ということが、多くの人の心に西田哲学を魅力あるものに魅せた、という面も当然あるでしょう。揺れるハート

「個」の生と死をどのように自覚的に組み立てるかという問題も西田の哲学の核心をついていました。

それは先にも書いたように、多くの肉親や友人の死を直に経験してきたからという面もありますし、西田自身の病気がちになってしまった晩年の身体の状態も影響していたでしょう。

そして西田は、晩年に興味深いことを言っていて、我々の使命感といったことにも触れていました。

西田は、各民族が世界史の中で果たすべき固有の歴史的使命感を強調していました。手(グー)

国家の歴史的役割は絶えず変化します。

そのことを自覚して世界に創造的に関与するダイナミックな過程でこそ真の国家が生み出されます。

人間が環境を作り、環境が人間を作ります。

歴史的な世界を組み立てるのは我々の行為以外にありえない、と西田は言います。

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「「私」固有の存在をかけて歴史や世界に働きかけるには、無私、無我、無心になってわれわれの心の底でわれわれに呼びかける声を聞くほかない」

非常に慧眼であると思いましたし、私自身そのような姿勢でことに臨んでいきたいと思っていました。

多くの人の心を捉えて、いつまでも世代を超えて魅了し続ける論者というのは、えてして社会をよくする方向へ人の心を向かわせる力があるようです。

西田が到達した「無の思想」は現代人の警鐘になるでしょう。

多くのモノにふりまわされ、多くの人と知り合いになるのが現代社会の特徴ですが、しかしそれでいいのか?

非常に考えさせられる問題であると思います。

多くのモノが溢れ、多くの人と知り合いになる…現代社会の特権でありますし、それはいいですし、モノの良さを享受し、人と交わることは大いに堪能すべきだと思います。

けれども、それらの1つ1つのモノの意義を逐一考え感じ、その良さに対して感謝の感情をもつ、出会った人の1人1人の良さも考え感じ、その良さに対して感謝の感情をもつ、こういう姿勢は大事だなと思います。わーい(嬉しい顔)

この本を読んで思ったのは、西田の思想は、あまりに忙しく、そういったことを感じずに、せわしい日々を過ごしている人にはうってつけの考えを網羅している思想であるなと感じた次第です。

この頁は、かなり簡略化して説明しましたので、その内奥についてもっと詳しく知りたいかたは、この本を買って読んでみることをお勧めします。

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posted by ロックさん at 23:48| Comment(0) | 現代社会論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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